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2012/04/27(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(001)  

私は普段、週刊誌は読まない。しかし自分の記事が掲載された時だけは読むようにしている。初めて私が週刊誌に掲載されたのは、著書「六壬神課学入門」を週間サンケイに紹介してもらった時だ。その頃の私は20代後半だった。それが機会になってサンケイ紳士録にも掲載してもらった。(今はどうなっているか、紳士録を購入していないので分からない)

今回フライデーを見て気付いたことだが。ヌード写真が掲載されているみたいだ。そこで今週の三蔵フライデーは「intermission」と云うことで息抜きをしてみることにした。
写真は鏡子ちゃんのカラオケ練習風景。画素の低い画面抜きなのでボヤけた写真だが「鏡子ちゃんの様子がよく伝わってくる一コマ」なので採用した。

ところでMRSには二種ある。月光寺MRSとムーン・ライト・スタジオのMRSだ。MとRは何れも同じ英語だが、月光寺MRSのSは(shrine)シュラインだ。何れ別稿で詳しく述べる。まあ紛らわしい名称なので同一視されても仕方はないだろう。因みに月光寺MRSは講義教材の制作をしている。
初期にはケーブルテレビで私が講師を務める「占い講座」を制作していた。近々、その番組を YouTube で配信する予定だ。



2012/06/15(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(002)  

殺風景な記録記事の連続だったので息苦しくなった人も居てると思う。
そこで intermission として一息入れることにする。これも(001)と同様に「鏡子ちゃんのカラオケ練習の一コマ」だ。
彼女は近年、柔軟体操をしています。
人として幸せに生きるには、心身共に柔軟でいることが必要なのだ。

ところで 月光寺MRS は本年夏至(注)を越えたら少しずつ活動を始めることにする。(15年ぶりだ)従来どうりの活動を始めることによって MRS との違いを認識してもらえると思う。
宗教法人月光寺の文化庁への報告は順調に進めている。一般大衆に対しては YouTube での番組配信によって認知してもらう予定だ。

(注)平成24年の夏至は6月21日辰刻



2012/07/20(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(003)  

三蔵フライデー起因に関しての目的は順調に果たされている。(三蔵フライデーは)月光寺関係者にとっては興味深い読物だが、一般的には「面白くも何ともない話」だ。今後の方向としては「目的も達成したので廃止」するのも良い。もちろん三蔵日記は続けるつもりだ。

今回は息抜きで「intermission」にした。鏡子ちゃんのヌードを掲載しようとも考えたが、次なる段の話題であるモーターバイクを印象付けることにする。写真に紹介しているように、メニスちゃんも大型免許を取得した。これで龍神ライダー増員。彼女達はバイクに乗って何をしようとしているのか。月光寺と新生ムーン・ライト・スタジオにとっては非常に重要なことだ。

この写真は椿大社(つばきおおかみやしろ)の駐車場にて。
3月30日の三蔵フライデー「金毛の剃髪」(003)に掲載した天鈿女(あめのうずめ)を祭る神社は、此処に在る。



2012/08/17(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(004)  

この写真を見て「鏡子ちゃんだ」と思った方もおられるだろう。画素が荒いので分かりにくいかもしれないが、写真の女性は「まみ子ちゃん」だ。ところで、鏡子&まみ子は外見的には違ったタイプ。でも(やはり姉妹)よく似ている。鏡子&まみ子を見間違えるのなら(微笑ましい)過ちなのだが、善悪を見間違えるのは深刻だ。しかし、観察者の都合や曲解で事実を曲げてしまうことは(残念ながら)多い。

まみ子ちゃんと一緒に並んでいるモーターバイク、これらを観察した印象はどうだろうか。最も多い意見は「お休みにツーリングですか。楽しそうですね」だと思う。もし写っている人物が私だったら「おっさんバイクで悪いことでもしに行くところか?」と考える人もいるだろう。大型バイクから連想する内容は人によって様々だ。バイクに想う「その人の想念」で、この写真に善悪を与えらることは避けられない。

この写真、実際には寺の行事をしているところだ。昔は筋斗行に馬を使ったが、今は自動二輪車を使っている。葬儀の時、昔は荷馬車で遺体を運んだ。しかし今は自動車を使っている。それと同じで、月光寺は駆馬(かけうま)に鉄馬を使っている。



2012/09/14(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(005)  

鏡子ちゃんが経営する MRS は 月光寺MRS から派生した。
月光寺MRS は、私の占学講義をケーブルテレビに配信する為に月光寺内で立ち上げた。本来ならばテレビ局のスタジオで収録しなければならない番組を、自力で制作したかったからだ。

5年間の放送が終了した後、鏡子ちゃんから「機材を貸して欲しい」との申し出があった。それを承諾したことによってムーン・ライト・スタジオが誕生したのだ。更に、泉野鏡子がスタジオを始める切っ掛けは別にある。
そんな内容も、講談社や毎日新聞社の取材には真面目に答えた。
しかし週刊誌は「面白く描かなければならない」と云う性(さが)があるので(紙面へは)正確に反映はしなかった。

ところで今回は intermission なので気楽に写真を観てもらおう。
ここは琵琶湖の水浴場だ。2005年9月3日、泉野鏡子は「禊」を兼ねての水浴だったので、晒布(さらしぬの)を身に纏っての入水だった。
その後はマイクロビキニではしゃいでいた。「禊」といっても琵琶湖に浸かることが目的なので、外見上は水浴を楽しんでいるように見えるのだ。



2012/10/12(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(006)  

前回の三蔵フライデーではバイクと一緒に写ったメニスちゃんの写真を投稿した。場所は鳥取県大山町の御来屋漁港で、私の師が羅居屋と呼ぶ処だ。
この時は私も同行したが、全工程をバイクで走行した。昔ならば馬で駆ける「駆馬神事」の現在版と云ったところだ。ある葬儀社は棺桶をサイドカーで運ぶ設備を持っているらしいが、当に行馬棺(あんばかん)の現代版だ。

ところで今回は intermission なので気楽に読んでもらおうと思う。
裸体写真で寛ぎたいところだが、今は成田で執筆活動中、出先の簡易装備なので資料がないのが残念だ。わざわざ成田で執筆をするのは「千葉で人に会う用事のついで」があったから。それに自宅では、猫のグエンが机に乗って甘えてくるので作業が進まない・・・と云う理由もある。今ぞとばかりに「女仙経」の翻訳に勤しんでいる。アシスタントに鏡子ちゃんが来ているが(私がホテルに籠もっているので)彼女は自分なりの「駆馬神事」でほとんど鉄馬上の人だ。今日は鹿島神宮と香取神宮へ参拝していると思われる。写真を見てのとおり、成田まではバイクを車に積んできた。

この鉄馬は(カワサキNinja250R)愛称は女咲裸(くのいちさくら)だ。



2012/11/16(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(007)  

堅苦しい話が続いたので、一息を入れたいところだ。そう云えば本日(2012年11月16日)衆議院が解散した。
「政治家の結策」シリーズを持出して議論していまいそうになったが、こんな時こそリラックスが必要だ。

ただ生きていることが「幸せ」に感じる。
そんな環境に住めていることに感謝!
写真は、琵琶湖で寛ぐ鏡子ちゃん。



2012/12/14(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(008)  

私事なのですが、今日は「急死に一生を得る」って感じでした。もちろん超大袈裟(おおげさ)な表現です。元々変な体質なので、人より元気だったり急激に弱ったりします。そう云えば子供の頃、息が出来なくなって医院に担ぎ込まれたこともありました。二十歳以後の体質は、子供の頃の其れとは別物なのですが・・・MRSの映像が造る妖精界で正常な息をしている。って感じです。話は変わりますが、遥かな国フランスのシモーヌさんから連絡がありました。内容は天文学の話だったのですが、フランス語の甘い響きを聞くと何となく癒されました。

「訳の分からないことばかり言って」と思われるかもしれなせんが・・・
今回の発言は「intermission」と、云うことで御容赦下さい。写真は「國祖符秘録」と云う巻物に描かれた龍神です。私が筆を運んだ写本なので上手くは描けていませんが、本稿を真面目に読んでいただいている方々の幸せを願って掲載しました。



2013/01/18(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(009)  

小学生の頃、今でも現実か夢かの区別がつかない体験をした。自分より少し年上の女の子から誘われて海へ行ったのだ。手を引かれて須磨海岸へ行き「一緒に潜ろう」と言われた。「僕は息を止めるのが苦手だから止めとくわ」と返したのだが「大丈夫だから」と言って強引に海中へ引きずりこまれた。ここまでならば「それは現実だった」と自身が持てるのだが、夢かもしれないのは「海中で息が出来た」からなのだ。自宅から須磨海岸までの移動も確かに現実だと思われるし、自分なりの考察では「やはり現実」なのだ。「不思議な能力を持った人」に関しては、後に真条師に出会ったことで身近な存在になった。しかし「その女の子は」今の私でさえ、不可思議な存在だと思っている。

今回は intermission なので、好きなことを書いている。そのついでに、もう一つ。私は子供の頃から仙人と何度も遭遇している。時々現れる「見知らぬ人」が、実は仙人だった。自分が確信を持てる事実なので、私の心を豊かにしている要素なのだ。そんな私の貧弱な発想かもしれないが(宗教って、案外ささいな事実から構築されていくのかもしれない)と最近、思うようになった。

写真は2013年1月13日関空にて「メニス、カナダから帰国」



2013/03/01(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(010)  

「小説女仙経」の話は、神相学派64代導士の伝えに基づいている。
私が師事したのは93代導士だが、弟子入りして半年くらいの頃「師匠、神相学派は本当に初代まで遡ることができるのですか」と聞いた。すると師は、ケラケラと笑って「わても同じことを師に聞いたわ」と言われた。そこで「92代は、どのように答えられたのですか」と聞いたら。「師は、吾で92代目だ」と言われたそうだ。93代は、92代の一言で納得したことになる。しかし私は礼儀も弁(わきま)えず「神相学派は師匠が創ったわけではないのですか」と聞いた。それに対し師は「わてが創ったんやったら、わては賢いんやな。それやんな嬉しいけどな」と言うなり大笑いされた。私は93代が云われた其の二言目で納得した。

先月の24日、福島県では観測史上最強の積雪だった。その真っ只中を、私は「バイクを積んだキャラバン」で走行していた。目的は十和田湖、師が「日本で最も龍神様が頻繁に出入りされる所」と言われた湖だ。
(もしもこの積雪が、火照った大地を整えるものならば有難い)そんな思いを抱きつつ、福島県内で一泊した。
十和田湖畔に到着したのは25日の夕方「とにかく行けるところまで行こう」と決意して、湖周を右周りに走行した。道路が雪に埋もれている地点まで慎重に進んだ。運転はまみ子、一度もスリップをしなかった。

福島県内の国道で、一度だけ私が運転を代わったときは強烈にスリップした。(一瞬、横転を覚悟したが)何故かシモーヌさんの顔を思い浮かべたらピタッと止まった。やはり私は女神に守られているようだ。

今回は「intermission」だ、好きなことを書かせてもらった。写真は十和田湖周の道路、交互通行を知らせるシグナルが凄く綺麗に観得た。
それでシモーヌさんの目を思い出した。彼女の目は薄い青だ。シグナルが青になってから進み始めた。



2013/04/12(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(011)  

ムーン・ライト・スタジオの代表は泉野鏡子だが、名の由来を聞かれることが度々ある。最も多いのが「夏目漱石の妻、鏡子さんから拝借したのですか」だ。
実際は泉鏡花から拝借している。
小説女仙経の主人公である芳雅の言葉「遠来の野に在る花は、子に観えると云いよる」から引用して「泉鏡花に野を加え、花を子に替えた」のだ。

そう云えば、貧窮に喘いでいた鏡子に福を齎(もたら)したのは(迷い込んで住み着いた)一匹の猫だ。その猫を題材にした小説「我輩は猫である」がベストセラーになったことから、夏目漱石一家の経済環境が好転した。実は(MRSの)鏡子も近年、猫を飼っている。「異象に入って難行をこなすは、もしや此処に居る御猫様では」なんて、漱石一家に肖(あやか)りたいものだ。

ところで、(有)ムーン・ライト・スタジオは現在休業中だが、早ければ6月には再開する。休業していた理由は月光寺中傷事件での教訓を法人活動に活かす為だ。昨年被った組織ぐるみの中傷は全て「嫌がらせ」の領域であって、月光寺の存在を揺るがすものではない。しかし事実を知らない第三者にしてみれば「噂が噂を呼ぶ話」を真に受けることもある。
そこで誤解を招かない外観整備をしているのだ。

写真は、鏡子に福を齎すかもしれない・・・猫。



2013/07/12(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(012)  

前回の intermission では泉野鏡子の名由来を話した。今回は蛍メニスについて語ってみる。元になったのは足女丹主(たるめにす)と云う言葉。最近掲載している「小説女仙経」に登場する宙介女史(ちゅうかいじょし)から引用した。
宙介女史はSF的に表現すると「宇宙大使に使える女官」のこと。因みに宇宙大使は足間合(たるまにあ・注一)と呼ぶ。

「世は宇宙時代、MRS に登場する女性も宇宙的で行こう!」なんて単純な乗りでモデル名を考えた。その結果、足女丹主に方法の法を付けて「法足女丹主」それが原案。先ずホタルメニスとカタカナで表示すると、ホタルが蛍に見えた。それで「蛍メニス」の名が出来上がったのだ。

蛍は自然な有機発光だ。スタートレックの見過ぎかもしれないが「我々の心からも光が発せられ、他星人との交友がある世界」になれば楽しいと思う。
写真は日本時間2013年7月9日10時52分、メニス バンクーバーにて。

(注一)小説女仙経に登場する役職名であるが、出典は私文書「無始神相伝法談」諸台伝持録台蔵七二丁第三「四五を渡りて第五に就くは標に成る役を以って頼る。星神通法、長けて正すは足間合。宙界朋輩往来するも介在無くしては調用成らず」から引用されている。



2013/08/30(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(013)  

今回は「intermission」と、云うことで気儘に思いついたメモ書だ。写真は本文とは無関係な、鏡子の体操。

ネットの世界では中傷が飛び交っているようだ。フランスの友人の言葉で「ネット犯罪に関する裁判の判例が必要ですね。多分、各国共通の課題でしょう」と聞いた。前投稿「金毛の剃髪 008」で、神政館への裁判所関与を紹介した。その内容は「神政館に頼んだ法事(注一)を詐欺呼ばわり」したものだ。しかも文意の底辺に月光寺中傷を使用している。しかも実質、神政館に法事を依頼したのは「山下明宣の破産申請によって、家を追出された家族」らしい。つまり法事(仕事)を依頼した大部分の資材は家族によるものなのに、それをネタにして金にしようとは(私的な考えで恐縮だが)まるでベテラン弁護士の所作のようだ。新人弁護士ならば、せめて名が売れるまでは「正義の味方」として行動するのが得策のはずだ。その真偽については裁判所が判断することなので、我々は静観するだけだが・・・最高裁判所での真偽追求と判例起因を願う。

匿名での投稿ならば「どんな虚偽をネット配信しても罪に問われない」そんな神話を崩そうと行政も懸命になりつつあるはずだ。「山下明宣と親戚一同」が行った中傷は一見巧妙なものだ。(事件を離れて私事を述べるならば)山下明宣は私の義父になる。頭が良くハンサムなので「明宣さんの良いところが似たら、賢い孫が出来るかもな」と妻と話している。残念ながら欠点は「感情のコントロールが下手」それが全ての元凶に思われる。

ところで「山下明宣と親戚一同」によるネット配信の中で「一般の結婚式で私と記念写真を撮っているカナダ人学生」の写真を使用して私のスキャンダルかのような投稿がある。これはカナダ大使館を通してカナダ本国にもレポートが受理されている。有事での弁護士は、カナダ大使館から提示された「英語と日本語に精通した弁護士リスト」から選ぶ。今回、神政館関係で公に提出された書類から関連付けられる。しかも「親戚一同」のリーダーが弁護士だと云うことも好都合だし、投稿者の特定も可能になった。そしてお金の無いはずの山下明宣に、甥が弁護をするに至った弁護士会の動きも不可解だ。破産申請使用(注二)に関する法的意義にも疑問がある。

(注一)お寺等では「経文の功徳」を信じて法事を営む。それを詐欺だと言われたことはないが、陰陽師用語は曲解が容易なのだろう。
(注二)各ローンは家族によって支払継続の意志を示していた。



2013/10/25(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(014)  

今、私は北海道で仕事中(注一)だ。
今回は敦賀から苫小牧東、海路で道入りした。出発の前日、私用で来邦しているラファティ先生に会った。

先生曰く「私は管長(注二)が行おうとしていることのミニヴァージョンを大学内で行っています。人権に関わることがあって、刑事事件の扱いになるそうです。何れも法学部が動いてくれます」・・・

いきなり私的会話の断片を記し、訳の分からないことだと思う。しかし三蔵フライデーの存在目的の重要時景なので、記録として本稿を使用させてもらった。
intermission と云うことで御容赦願いたい。

ところで MRS についてだが、またまたシモーヌさんから意見が来た。
「私もファンの一人なのよ!早く方針を決定してください。中途半端のままならキッパリ廃業してください。やるなら私も出来る限り応援します。ヨーロッパで撮影する時は手伝うから、高田監督の映像をもっと増やしましょうよ」
フランス語混じりの日本語だったが、いささか厳しい口調だった。

写真は、敦賀港から苫小牧東港への直行便「すずらん」のデッキにて。

(注一)「咀嚼天」と云う、月光寺駆馬行事のため。
(注二)月光寺管長である私、山下訓弘(高田三蔵)のこと。



2013/11/29(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(015)  

高校生の頃、大山から海へ降りて行く龍神の話を聞いたことがある。但し、誰から聞いたかを憶えていない。因幡の白兔に係わる内容だったと思うが、既存の風土記には出てこない。

大山から名和神社(注一)所在地を経由して御来屋漁港の沖辺りが物語の背景だ。大山は現在より高く、頂は天まで届いていた。その頂を辿り、八体の馬を率いた一対の龍神が降り立ち人々を観察した。そして海岸近くの村へ七年留まった。その間、一人の村娘から助力を得て、地域の神々を統率。そして出雲國までを射映路(注二)として七体の神馬を駆けさせ億牢(注三)へ放った。

確か(龍神は一対で降りてきたが)雌龍は雄龍の案内を果して直ぐに神界へ帰った。と聞いた。実はこの話が気になって、24日から大山町へ行ってきた。「射映を辿ってみよう」と云うことで、名和神社と出雲大社を往復し、億牢へ放たれたという神馬を偲んでみた。写真は26日「神話では八体の神馬が来ていたはずだが残りの一馬は何処へ行ったのだろうか」等と考えながら、御来屋漁港から出雲方面を眺めた時に撮った。

(注一)南北朝時代の武将、弓の名手「名和長年」を祭る神社。
(注二)射映路(しゃえいじ)天地間を通り、神々の通路になる処。
(注三)億牢(おくろう)現在のロシアに相当する。



2013/12/06(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(016)  

前稿「intermission」(015) を投稿してから、数人の読者から質問を貰った。
全員に共通しているのが「誰から聞いたかを憶えていない。って、そんなことないでしょう!」だった。
しかし本当に憶えていないのだ。普通だったら、師匠である神相学派九三代導士に聞いたことになる。ところが弟子である私が、師匠に話したことなのだ。師に「面白いことを聞かせて貰った。有難いことじゃ」と、喜んでもらったことが印象的だった。

多分、私が22才になったばかりの頃だ。出雲大社近くに知人がいて、その人を訪ねたことがある。その知人は大阪で裏本(注一)を売っておられた人で、後に出雲で腰を落ち着けられた。その知人を出雲へ訪ねたのは三度。
恐らく二度目の訪問時、紹介された数人の誰かから「大山から海へ降りて行く龍神の話」を聞いたのだと思う。紹介されたのは女性ばかりで、その時の印象では「綺麗なおばちゃん」って感じの人達だった。

写真は2013年11月26日、貞希(メニス)と出雲大社へ参拝した時。
参拝を済ませてから再び「神話では八体の神馬が来ていたはずだが残りの一馬は何処へ行ったのだろうか」等と考えていて思いついたことがある。
理屈で云うと「その一馬は、複雑な経路を辿った後に夜禮(注二)へ辿りついたのでは」と閃いた。今のところ自信はないが、学派文献を読みなおしてみれば手懸りが得られるかもしれない。

(注一)無修正で性器を露出したヌード写真集。
(注二)夜禮(やらい)現在のベラルーシに相当する。



2013/12/13(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(017)  

「intermission」は月一くらいで書くつもりのタイトルだが、今回は例外で三回連続の投稿だ。「大山から海へ降りて行く龍神の話」を思い出しつつの投稿所以であるが、自分としても(この機会に)記憶を整理しておきたいこともある。

大山から降りてきた龍神の、出雲國での動きは少なかった。
尊霊(注一)を統率するには富士神界を第一に置く必要があるからだ。当時の富士山は大山よりも低く、山そのものが成長過程だったのに並行して尊霊界も目覚しく大きくなりつつあった。
日本國を統制する為には富士尊霊界の統合が眼前の課題だったのだ。

師(注二)から聞いた話によると(現代の話)富士神界は日本最大の尊霊界だそうだ。高神界と人間界の間に入って国政を左右するのだが、大正時代から勢力が衰えてきている。それは多くの人間が、富士山の周囲に念積を被せているのが原因だと云うのだ。

徳川家康が「富士山は浅間大社のものだ」と認めたことは歴史上有名な事実である。しかし明治政府が国有地に編入して四五間(注三)は落着いた。
ところが其の後色々あった末、現在では富士山本宮浅間大社が山頂の所有権を持った。

国政は時代によって様変わりをする。良し悪しはともかくとして、長い目で観れば偏りがない。しかし、一部の宗教が想いを被せてしまえば恐いことになるかもしれない。私は、富士山が激怒して大噴火が起こらないことを祈る。

写真は2013年12月1日「かやみ撮影」で横浜に向かう途中、足柄サービスエリアにて撮影した富士山だ。富士神界の神々が、不満気に思える。

(注一)尊霊(そんれい)人間界に最も近い神々。
(注二)神相学派九三代導士、真条。速水妙子。
(注三)第四神相が神界で第五神相が人間界を指す。



2014/01/10(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(018)  

三蔵フライデーを熱心に読んでくれている読者から、再び疑問が投げかけられてきた。「大山から海へ降りて行く龍神の話を聞いたことがある。から始まっている関連の話ですが、小説女仙経の内容等を吟味してみました。それで得た印象では、その龍神話をよく知った上で著述されているように思えるのです」

確かに的確な指摘であるが「大山から海へ降りて行く龍神の話」はボンヤリした記憶で、高校生の頃に聞いた話(注一)である。そしてもう一つの記憶では、22才の頃に出雲の友人宅に来訪中であった女性から聞いた話(注二)もある。この双話は似ているので記憶が混同していたようだ。どうやら異話のようであるが物語の出処は同じにも思える。昨年末に過去のメモを調べてみると、それらしい記述があった。

【メモ1】オバチャン(注三)から神相策のことを詳しく教えてもらった。尊霊(氏神の方々)の世界にアキサが来て、村の娘に神託を授けたこと。場所は第五での名和神社近くの漁港だ。そこから尊霊界を整えることで富士に赴くことになったが、その前に娘の寿命を早くした。早く死んだということ?その娘を妻にした。結婚式は何処でした?第五それとも第四?娘が死んだ後だから第四で式を挙げた。ホントですか?それが奈良の第四・・・鹿のいるところ?大仏様のある近くですか。春日神社の第四かもしれないとオバチャンは考えてた。

【メモ2】コミさん(注四)が元気そうで安心した。お客さんが来ているので会わせてもらった。三人のうち一人の女の人が神話を教えてくれた。大山から降りてきた龍神のこと。何処から来た?それが分からないと面白くないですと僕は言った。琵琶湖の北の方らしい。第四ですが第五にも痕跡が出ていて朱色の物になった。?「また聞いとくわね」と言ってくれたけど、誰に聞くのかな?

【メモ3】大山の前は意澄之国の龍神とか言ってた。電話(注五)をもらった。オバチャンに質問したら地図でこのあたりだと教えてくれた。スカンジナビア半島のことでスウェーデンくらいの場所になる。もとデンマークだけど、もっと昔はどんなところか?ここだったら龍というよりドラゴンの伝説だと思う。ドラゴンは屋を保って守ってるんや。屋はオバチャンは野のことと言ってた。界とか。

私のメモは雑多で、整理もされていない。多くを紛失してしまっているが、残っているものを見直すと思い出すこともある。そんな目的からしても「小説女仙経」の著述は続けていくことが必要だ。

写真は「鏡子の新年挨拶」で写真合成をした、ベッドの部分。

(注一)2013/11/29(Fri) 三蔵フライデー「intermission」(015)を参照。
(注二)2013/12/06(Fri) 三蔵フライデー「intermission」(016)を参照。
(注三)高校生の頃、私は師匠のことをオバチャンとメモには書いていた。
(注四)大阪で知り合って出雲大社近くに移転した知人。今は故人。
(注五)恐らく出雲で会った女性から電話をもらったのだと思われる。



2014/02/14(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(019)  

昨日久しぶりに、シモーヌさんと話をした。最近、日本語が上手になってきたので話しやすい。「人って偏見がイッパイあるよね」と、イキナリ彼女は言い出した。「えっ!何の偏見」と私は聞いてみた。「色々なのですけど、職業とか人種とか」と、口ごもり気味に話すパリジェンヌ。

結局、シモーヌさんは MRS のことを語りたかったのだ。再開を最も願ってくれた彼女に、我々一同は励まされてきた。彼女は「私も家の都合で表に出ての応援はできないから・・・強くは言えないけれど、MRSに偏見を持つ人は大嫌いです」と、度々言ってくれる。金髪美人に(そんなことを)言われると、それだけで嬉しくなる。これがメニスを支える原動力のようだ。

写真は、私が先月12日に撮影した「成田空港に着陸する飛行機」の一機だ。シモーヌさんが大変気に入ってくれたもので、パソコンの壁紙にしているそうだ。



2014/04/04(Fri)  三蔵フライデー「intermission」(020)  

ドイツの友人が「三蔵フライデーにはタイトル別愛好者のグループがあるのよ」と言ってくれた。私の頭に浮かんだのが洋風井戸端会議、それに知的な雰囲気がある。いずれにせよ文を書く者にとっては、嬉しい限りである。ただ・・・
(どれだけ日本語を理解できているのだろう)疑問と心配は拭いきれない。

先月のことだが、読者三人を選んで聞いてみた。その三人は三様に好みが違う。一人は「小説女仙経の続きを待ち望んでいます」と熱心に語っていた。一人は「何といっても神様製造法です。考えさせられることが多いんです」何やら思い悩むかのような口調だった。あと一人は「イジメのプロが未だ一回キリですよね。もうすぐ一年になるので是非二回目を投稿して欲しいです。これが三蔵フライデー発刊の動機と神髄だと思うのです」核心を求める勢いだった。

ところで私は今、バンクーバーに居る。もちろん仕事で来ているのだが、今回はプライベートな行動が多い。その一つ、来屋(注一)を新しく設けた。今までもバンクーバーでの活動はあったが、これからはイヨイヨ本格的な動きをしたいと思っているからだ。執筆活動も積極的に進めたいし、若い世代の育成にも携わりたい。隠居するには、時期が早すぎる所以である。

写真は昨日の撮影だ。最初は桜を撮ろうと思って外へ出たのだが、何でもない路地を撮って帰った。この路地の広さが日本にない安心感を与えてくれる。

(注一)「主に住む家」に対して「ある目的で訪れる自宅」のこと。



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